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平和と人権の未来へ
尊敬すべき組織を代表する幹部の皆さま、若き学生代表の皆さま、そして本日ここに集われた全ての皆さまへ。
日本に本部を置く、国際非政府組織 ingo PEACE. 会長の中澤弘幸です。
まず冒頭に、本セミナーの開催にあたり、ミャンマー暫定新政府のご理解のもと、この場が実現したことに、深く心より感謝と敬意を表します。
また、各関係者さまのご尽力により、ここに人間の尊厳と人権、未来への希望を語り合う機会が創られたことは、歴史的にも大きな意義を持つものと、この場に立ちながら感慨を深くしております。
本日、私は、ミャンマーという希望の大地から、世界に向けて“ふたつの問い”と “ひとつの提案”を携えてまいりました。
根本的な問いかけ
その“問い”とは、こうです。
「人間の尊厳・人権とは、いったい何か?」
「国家とは、そもそも何のために存在するものか?」
はたして、それらは我々の生活に、何をもたらすものなのでしょうか。
私たちは、例外なく、太陽系にある地球という星の、人類史の進行過程の途中に、ある日突然、人間として生を受けました。そして、それぞれ生まれ落ちた、家、地域、社会に属し、隣人との関係を育み、学び、共に生み出し、そして時として争い、今日に至っています。
事実として、人間は、100年に満たないうちに、生を終え、土へと還る。
この様に、おのおのが、生死を繰り返しながら、その生命活動の連鎖が織り重なり、人類史が形作られ、そして受け継がれています。
そうした、人類史の中にあって、地球のとある場所に住む我々人類の一員は、主に国という単位で、その為政者が主導する戦争へ、国民として参加しながら、多大なる苦痛の経験を通じて、「人権」という、ひとつの本質、『人類共通価値』へ辿り着いたのです。
私が投げかけたい、ひとつの提案とは——
「私たちは、過去とではなく、『未来との約束』へ向けて、力を、エネルギーを結集し、限りある人生を生きるべきだ」という、選択への提案です。
だからこそ、私はこう呼びかけたいのです。
「希望を掲げ、未来と契約せよ」
と。
我々は、連続する時間の世界に生まれて、「今」を選択しながら、生きる生命体ですが、私たち人類は、生まれ落ちる前から続く延長線上の、過去の因縁に絡まれながらも、それらを乗り越え、今まさに、私たちは問われているのです。
「あなたたちは未来に何を遺すのですか」と。
そもそも、私たちは「人間の尊厳」や「人権」という言葉を、どこか他者から“与えられる権利”のように感じてきたかもしれません。
しかし、本当は違うのです。
人間の尊厳は、制度や法律が与えるものではなく、本来すべての人に内在している力(エネルギー)なのです。
それは誰かに奪われるものではなく、たとえ軽んじられたとしても、揺らぐことなく私たち一人ひとりに宿り続ける一元的価値なのです。
一方で、 「人間の尊厳や人権を単に法的に構成されただけもの」として捉えるなら、それは為政者の法的な解釈または理解の深さによって変化する危うさも持ちます。
だからこそ、私たちは「人間の尊厳」を人権の根源に据え直し、その尊厳を守る意思を未来へと継承していかなければならないのです。
つまり、私たちが生まれながらに持っているのは、誰かに認められなければ存在しないような「承認された権利」ではなく、たとえ小さくとも、一人ひとりの生命が宿す「権力」=Power to be(存在する力)であり、それこそが「人間生命の力」なのです。
そしてその力を、決して孤立したものにしてはなりません。
それぞれの権力、生命の力がつながり、響き合い、結集したとき、世界は大きく変わるのです。
そして同時に、共存し繁栄する社会においての人権および権利とは、社会の枠組み、つまり国家や国際社会に対する義務を果たすことによって初めて備わるものであると理解しなければならないのです。
すなわち、社会における人権および権利とは、自らの責任によって支えられるものであり、無制限な個人的欲求の解放ではないことを理解しなければならないのです。
つまり人権とは、勝ち取ったり、奪い取ったり、または誰かから与えられるものではなく、未来への希望を示す力です。そして、その希望を生きて実践しようとする意思こそが、人権そのものであり「生命の力」なのです。
そう、私たちには常に「未来を選択する自由と権力」があるのです。
そして、それらを、我々の
手に取り戻す時が「いま・ ・」
なのです!
世界人権宣言と「今」
今から77年前、世界は第2次世界大戦の廃墟の中から立ち上がり、「世界人権宣言」を採択しました。それは、1948年12月10日金曜日の夜半に、パリで開催された第3回 国際連合総会で、当時の加盟国58カ国中、48カ国の賛成によって採択されました。
「人類の叡智」としての採択をこの世に残し、生を全うされたリーダーの見識に、ここで改めて深く敬意を表したいと思います。
そして今、国連加盟国は、採択時の約3倍、193カ国にものぼるのです。
今一度、思い起こしてください。
賛成48カ国に、ビルマは入っているのです。
もちろん、当時のビルマ(Burmese)は、現在のミャンマー、あなた方の先輩方なのです。
そう、あなた方には、既にその叡智があるのです!
ミャンマー出身でアジア初の国連事務総長
、ウ・タント氏は、冷戦下の国際緊張が高まる、1963年の年頭演説でこう語りました。
"The basic problem confronting the world today, as in the past, is the question of human dignity and human freedom."
「過去と同様に、今日世界が直面する基本的な問題は、人間の尊厳と自由の問題である。」
そして、「人類全体が共有すべき基本的価値」として、
すべての人の人権を保障する国際的基準
を示したのが「世界人権宣言」です。
そこにはこう記されています。
「すべての人間は、生まれながらにして自由であり、尊厳と権利において平等である。」
つまり、《「人間である」という事実において、すべての人は等しく尊厳を宿している》。
しかし「権利」とは、社会の中で責任を果たすことによって初めて実を結ぶものであり、無条件に与えられるものではありません。ゆえに、尊厳においては王様も子どもも変わらず平等ですが、権利においては、その担う責務の大きさによって異なるのです。
そして忘れてはならないのは、人間の尊厳を基盤として築かれるものこそ「人権」であり、その中には、一方で誰もが等しく持つべき平等性があり、他方では社会の一員として果たすべき責任が不可分の要素として含まれているということなのです。
では、そのように定義される「人権」という根源的価値は、世界人権宣言から77年を経た今日の人類史において、果たして本当に社会に体現されているのでしょうか?
もし、そうでないとお感じになるとしても、ここにいる我々は「過去からの因縁の声」ではなく、「人類の過去から引き継がれた叡智の声」に耳を傾けてみるべきではないでしょうか。
第35第 大統領就任式で、ジョン・F・ケネディは、云いました。
“Ask not what
your country
can do for you — ask what you can do
for your country.
”
「国があなたのために何をしてくれるかを問うのではなく、あなたが国のために何をできるかを問いなさい。」
私たちには、こう聞こえるはずです。
“Ask not what
the human rights
can do for you — ask what you can do
for the human rights.
”
「人権があなたのために何をしてくれるかを問うのではなく、あなたが人権のために何をできるかを問いなさい。」
そう、それは、もう
国の枠を超えた試み
でもあるのです。
我々は、生命の尊厳において平等でありながら、経済制裁、紛争、内戦、気候災害、教育機会の不均等など、この地球には、人が生きるためのエネルギーすら届かぬ“ゼロ地点”が、無数に存在しています。
また、人権の再生と復興において、侵略された国の民にしか分かりえない人権への希求があるのも事実です。しかしながら、同様に、そこには国のリーダーにしか分からない、
国づくりの責務を担う苦悩も同時に存在する
のです。
加えて云えば、侵略された国には、必ず内側から国を売って、個人的に優位な立場を得た者たちが存在しているのです。
それは、ほぼ全ての植民地化、間接統治の構図に当てはまると考察しています。
ひとつの結果として、
闘争と競争の果てに、世界で最も富裕な8人が、最も貧困な36億7500万人分と同じ資産(約48兆6000億円)を所有している様な世の中を、築きあげてきたのは、
実は、現代文明がその様な設計思想に基づいているということなのです
。
実際、国際NGOオックスファムが2023年に発表した報告でも、「世界で最も裕福な81人が、世界人口の下位50%と同等の富を所有している」とされ、これは同団体が2017年にまとめた前述の「8人=36億人分」とされた報告書と
本質的に同じ社会構造のまま
なのです。
だからこそ! ミャンマーの地から、再び産声をあげる、
この人類史に残る人権の再定義への取り組みに対して
、国のリーダー、世界の富める者、そして共鳴する我々世界の市民は、どうか勇気をもって、この活動への支援を表明してほしいのです。
新しい設計思想による
未来の社会を築くために。
平和と人権の再定義
私はこう定義します。
平和とは、「あらゆるジャンルのエネルギー(食、教育、医療、生活、文化)が、すべての生命に届いている状態」であり、そこに“エネルギーのゼロ地点”が存在しない状態の世界、平たく言えば、最も力の弱い人が安心して暮らせる世界であると。
そして「人権」を志向するということは、その設計思想において、生命の尊厳を根本思想とするエネルギーで満たされた社会を目指す、ということなのです。
それを、「誰が、連帯し、目指すのか」ということです。
「どこの国が?ではなく、誰が」なのです。
そして、この問いを現代社会にあてはめるならば、高度情報ネットワークで結びあっている今の世界において、その「誰が」とは、特定の国家ではなく、共鳴し合う国際社会の一員としての私たち一人ひとりであり、「共生する人々の連帯」に他ならないのだと、私は感じるのです。
ここでルネサンスのお話を
人類史の歴史的転換点である、14世紀~16世紀にかけて「古代ギリシャ・ローマの文化の復興」を目指し巻き起こったルネサンス(フランス語で再生・復活)は、「国の公式な政策」としてはじまったわけではないのです。むしろ、それは特定の国王や知識人たちの強い意思と支援によって、市民の手によって推進された文化運動であったのです。
21世紀における、再定義は、非常にシンプルなものです。
それは、こうです。
「経済という目的のために、人権が手段となるのではなく、基本的人権、つまるところ共生益という目的のために、経済という手段が用いられ、そこにこそ文明の本当の繁栄が見出される」という、人類史の再編集にあるのです。
これまでの歴史、特に「戦争の世紀」と呼ばれる20世紀は、共生益(人権、平和、地球益)の搾取の上に、成り立ってきたと云っても、言い過ぎではないと考えるのです。
それは、例えば、国家が、国民の消費活動から消費税を徴収する様に、または自国を守るために兵器を保有する様に、各国がそれぞれの考えに基づき、地球税を拠出し共生益を護る取り組みのために活用しても良いと思うぐらいなのです。
そうなんです。
皆さまであれば、既にお気づきかもしれません、
現在の私益、国益追求型経済モデルのみに偏るのではなく、共生益を基盤とする、共生経済モデルという存在が求められているのです。
つまり、平和とは、人権とは、それは「文言」ではなく、「配分」なのです。
生きる力の分配構造にこそ、その本質があるのです。
経済制裁の矛盾
ここで私は改め、世界の指導者、地球における人類を構成する国という単位の為政者に問います。
大義を盾に大国が実行する「経済制裁」とは、果たして「正義の手段」と言えるのでしょうか? その大義とはいったい何に基づいたものなのでしょうか?
制裁は、制裁国の為政者ではなく、最もか弱き民衆、市民から生存権、人権を奪います。医療が届かず、教育が止まり、乳幼児の命が絶たれていくのです。
世界人権宣言の最後を締めくくる第30条には、こう記されています。
権利を奪う「権利」はない。
ここに大きな矛盾が潜むわけです。
世界人権宣言を掲げた国々自身が、この構造的暴力を実行している現実は、明らかな二重基準であり、もはや「人権の冒涜」であると言わざる得ないのです。
国家とは何か?
地理的、地域的集合体からはじまった、我々ひとりひとりが帰属する国家とは、そもそも、
誰のための枠組み、装置
なのでしょうか?
本来国家の原型となった地域社会とは、人の生命活動を守り、育むためのものでした。その社会のゆりかごから芽生え、受け継がれた生活のあり様が、それぞれに花咲く多様な文化であったはずです。
しかし今や、「国家」は、一側面において、為政者個人または組織のビークル(戦略道具)となり、国民を動員し、情報を遮断し、時に分断を生む、管理装置になる危険性を孕んでいるのです。
マックス・ヴェーバーは言いました——
「国家とは、合法的に暴力を独占する装置である。」
人類史を振り返れば、この言葉は、外からの侵略に抗い、国を護るために立たざるを得なかった現実をも映し出しているのです。
その様な状況下においては、異なる視点を持つ者が、互いに独善的な正義を押しつけ合うのではなく、
共生益を共通の絶対価値に据え、その上で、共に理解し合い、共に考えていく必要があるのです
。
加えて、国民は、諸外国からの意図された情報に呑まれることなく、それは「
誰を見て、誰のために主張されているのか
」という一点を見据え、いま、この瞬間の真実を見つめなければならないのです。
だからこそ、私たちは今、新たな「国づくりの定義」を、未来に向けて、未来の主体者とともに、模索しなければならないのです。
Hope Allianceと共生社会OS
国の枠を超え、人権を基盤として連帯する新たな共同体として「希望共生体:Hope Alliance」という、価値に基づく繋がりの単位を、ともに創造することを我々ingo PEACE.は提唱します。
また、資本主義経済、社会主義経済と併走する「人権主義経済:Humanism Economy(もしくはHope Economy)」という、人権に基づいた分配構造と循環型エコノミーを、世界の叡智と連携しながら育んでいきたいと考えています。
そう、私どもingo PEACE.が目指すのは、「共生社会OS」であり「共生経済モデル」なのです。
その基本思想は、「共生益」——
すなわち、人権と平和、そして地球益をベースとする、
新しい利の定義
でもあるです。
我々人類は、学び、成長します。
端的に言えば、
学問とは、問いを学ぶということ
なのです。
つまるところ、どのような問いを、問いかけるかということなのです。
つまり、そもそもの問いが誤っていたり、古くなってしまえば、誤った答えが、世の中へと展開されていくのです。
誠に残念ながら、展開された世の中から、隠れた問いを類推すると「いかに富めるものが富めるのか、いかに富めるものが富むために、人類を、国民を、生活者を(経済で)支配・管理できるのか」という問いが見えて透ける世の中なのです。
そして、ここミャンマーから世界を見つめる私たちが共有すべき、現在進行形のひとつの歴史があります。
それは、
日本という国の戦後の姿
です。
日本は第二次大戦の敗戦国として、今日に至るまで65年もの長きにわたり「日米地位協定」という非対称な国際契約のもと、自国の中に、他国の軍事基地と特権が存在するという“主権の空洞”を抱えてきました。
その協定は、米軍の犯罪に対する裁判権の不在や、環境汚染への不問といった形で、日本国民の人権と自治権を今もなお制限しています。
国連憲章がすべての国の主権と平等を謳い、世界人権宣言がすべての人の尊厳と自由を保障したにもかかわらず、誠に残念ながら、現実には、「戦争に負けた国」の人権と主権は、今もなお制限を受けているのです。
この構造を問い直すこと―――それは、過去の植民地主義や覇権主義の残滓と正面から向き合うことに他なりません。
人権は、決して、勝者のものではない。
勝者から与えられるものでもないのです。
人権は、どんな国に生まれようとも、生まれた瞬間に誰もが等しく手にしている“人間生命存在の権利”なのです。それを『人類共通価値』として認めているのが、世界人権宣言であるのだから!
だからこそ、ミャンマーにおいても、地球のどこにおいても、「二重基準」や「沈黙の構造」に抗い、真の意味での主権と尊厳の回復を求める声を、次の未来に向けて、ともに声を上げていこうではありませんか!
「平和未来評議会」の提案
私たちは、平和と人権の再定義について、世界の叡智から共に学び、未来を担う参画者を中心とする「平和未来評議会」を設立します。
ここでは、未来の経済モデル、共生に基づく社会制度、国家像、そして、平和と人権の再定義を協議し、世界に向け提言をするのです。
この試みは、若き世代の「世界との繋がり」を育み、連携していきます。
なぜ若者が中心なのか?
未来は若者そのものであり、未来への問いは、未来の担い手である若者によって語られるべきです。しかし忘れてはならないのは、私たちは未来の「所有者」ではなく、ただ時間の中にあってそれを預かる「管理者」にすぎないということです。
ゆえに、近未来の責任は、まさに我々大人にあるのです。
そして、経験が豊富で思慮深いものたちは、未来を担う若者達が、問いを学び、答えを導き、それを実行するための、手助けをするガードナー(庭師)であり、ガーディアン(守護者)になるべきなのです。
Unity of the Brothers
ミャンマーにはこういう教訓的な話があります。
「Unity of the Brothers」
ညီအစ်က ိုလ ေးဦေးရ ဲ့ အင်အ ေး (ニィ・アッコー・レーウー・イェー・インアー)
兄弟が分断されていた時、敵は容易に彼らを打ち倒しました。しかし、団結した時、どんな敵もその絆を切ることはできなかった。
敵とは、ここでは、過去からの因縁で「今」を生きる「呪縛」のことです。
このお話は、日本の「三本の矢」の話とも共鳴します。
そう、いま世界に必要なのは、この「団結の力」なのです。
未来を担う若者たちの「共生社会の一員としての団結の力」なのです。
それを、私の様なものたちは、分断の原因をつくるのではなく、今こそ、若者の団結を育てる、庭師の側に立つのです。
そして、ここに集う全ての仲間と共に声を上げたい——
希望を囲み、みなで手を取り合おう!
Circle Hope,
Join Hands!
未来との契約
皆さん、今こそ、自らに問いかけてください。
わたしたちは、知らないうちに刷り込まれてきた、過去との契約の中に生き、そして死んでいくのですか?
それとも、未来を共に再設計し、その約束と契約の中で生き、未来へ向けて芽吹く良質な種子となり、未来へと希望をつないでいくのですか?
今、世界が必要としているのは、「過去の模倣者」ではありません。
為政者の持つ利権と苦悩の争奪合戦でもありません。
今こそ必要なのは、『未来の設計者』なのです。
世界に向けた宣言
私たちは、この地、ミャンマーから、未来に向けて、こう宣言します。
「すべての人の人権を尊重することから、復興は始まる。」
“True reconstruction begins with the respect for every human being’s rights.”
おわりに
ミャンマーの大地に、いま再び「希望の種」が蒔かれようとしています。
それらをともに育む、新たな人類の連帯を、私は「Hope Alliance」と呼びたいと思います。
そう、私たちは、共生益を設計思想に据えた「共生社会OS」と「共生経済モデル」の構築へ向け、いま、対話と行動を開始するのです!
そして、人類史の大展開を目指した“希望の道のり”を「
Hope Alliance Project
」と名付け、世界へ連帯の輪を、この地から、広げていこうではありませんか!
私たちは、ミャンマー国花でもあるパダウ*の花のように、希望を掲げ、ともに立ち上がろうではありませんか!
*パダウの花言葉:希望・新しいはじまり・純粋さ・誠実・謙虚さ
そして、このセミナーのすべての参加者が、未来の種子となり、新たな文明の芽を育む存在であると、私は信じています。
「未来とは、贈られるものではなく、共に築くものである。」
Let the rights of all humans not be relics of the past,
but bridges to the world we choose to create together.
皆さま、共にこの一歩を踏み出しましょう。
人類の未来のために。
パダウの花が咲き誇る、4月を目指して!
手を取り合い、希望へ向けて!
Hands Hope!
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